2017815日火曜日 ブログ第274

 

終戦記念日

 

今日は終戦記念日。

戦没者追悼式典のテレビ中継があり、

戦没者に対して黙祷をささげました。

 

靖国神社

 

ここ数日、テレビでは

戦時中や終戦直後のことについて、

当時兵役についていた人々の

インタビューが放送されていました。

 

戦後72年経つので、

生き証人である方々は

非常にご高齢になってきています。

 

皆さん90歳以上。

 

戦争体験のある人たちがなくなると、

戦争を知らない人たちだけの時代が

間もなく訪れることになります。

 

私が中学生の時に、

「戦争を知らない子供達たち」

という曲が流行りましたが・・・。

 

盆休みに実家に帰った折、

戦死した叔父が父の従妹に宛てた葉書

(軍事郵便、検閲済印)が

従妹の手元に保管されていて、

今年になりその従妹より

母宛に手紙とともに

送られてきたものがあり

その葉書を読ませてもらいました。

 

その葉書には、

父親や叔父と従妹の交流の昔話とともに、

派遣された中国での生活振りや

現地の子供との交流などが書かれていて、

戦地の厳しさなどは

全く書かれていませんでした。

 

当然ながら、

戦地の状況などを書くことは

禁止されていたのでしょう。

 

父方の祖父は、

横浜正金銀行員(旧東京銀行)として

ビルマにいたことがあるという話は、

本人や父からも聞いていましたが、

 

ビルマ(現在のミャンマー)の

ラングーン(現在のヤンゴン)、

マンダレーの支店長を務め、

軍属になっていた時期もあり、

戦後に戦争犯罪人になり、

公職追放になった

ということも書かれていました。

 

昔、祖父から聞いたことが

あるのかないのか忘れましたが・・・。

 

叔父については、

父から大学時代に学徒動員で

戦争に徴兵され戦死した

 

という話しか聞いたことが

なかったのですが、

入隊後の経緯などが従妹の手紙には

少し詳しく書かれていました。

 

また、

ブログを書きながら思い出したのが、

私が子供のころ、

父が子供の時に遊んでいた戦時中の

メンコなどをもらって遊んでいたことを

思い出しました。

 

当時は戦後20年経っていないころなので、

戦時中のものが残っていたり、

目にする機会も多くありました。

 

が、これら戦争の面影が残るものも、

時間の経過とともに、

すべて捨ててしまいました。

 

今回の手紙に同封されていた葉書は、

軍事郵便と印刷された葉書であり、

戦争というものを身近にリアルに感じた

今年の盆でした。

 

北朝鮮の核弾道ミサイル問題も

他人ごとでない中で、

日本の平和をどのように守るのか

一国民として考えさせられる

最近の国際情勢です。

 

戦時中のことなども含めて、

知っていることは子供たちにも

しっかり伝えていかないと

いけないと感じます